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在福岡米国領事館の歴史
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4月 4, 2022

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

首席領事ザヘイレンと職員(1952年)

1950年8月より、アメリカ政府は福岡市大名町の米国領事駐在所にて領事サービスを開始する。同駐在所は1952年3月に天神の「ホワイトハウス」と呼ばれた有名な白い建物に移転され、同年4月28日の講和条約発効と同時に、首席領事オーウェン・J・ザヘイレンを筆頭に、他領事2名、15人の職員が勤める在福岡アメリカ領事館に切り替えられた。

同「ホワイトハウス」にはアメリカ領事館とともに国務省の一機関の福岡アメリカ文化センターも1952年5月6日に併設された。1953年に福岡アメリカ文化センターは国務省からアメリカ広報・文化交流庁(USIA)に移管された。

1960年10月に在福岡アメリカ領事館は現在の所在地である福岡市大濠に移転した。領事館の建物はカリフォルニア・サンフランシスコを拠点として活動するハーヴィー・パーク・クラーク、ジョン・フレドリック・ボイトラー、ジョージ・T・ロックライズの建築事務所、アーキテクツ・アソシエイテッドによって設計された。1982年には、アンサンク・セダー・ポーチカ・アーキテクツが領事邸宅を設計、現在の領事館の敷地内に建てられた。

1960年に大濠に移転した当時の在福岡アメリカ領事館

在福岡アメリカ領事館が大濠に移転した後は、福岡アメリカ文化センターが三階建ての「ホワイトハウス」の全てを占有して業務を行った。1972年4月25日に在福岡アメリカ文化センターは福岡アメリカン・センターと改称。1992年12月末に福岡アメリカン・センターは天神の「ホワイトハウス」から福岡市大手門に移転して、1993年1月29日に業務を再開。「ホワイトハウス」はその後、取り壊された。

天神のホワイトハウス(1952年)

1997年に福岡アメリカン・センターは福岡市天神のソラリアパークサイドビルに再移転し、現在に至る。1999年、福岡アメリカン・センターの親機関であったアメリカ広報・文化交流庁(USIA)が国務省に統合され、福岡アメリカン・センターは在福岡アメリカ領事館の広報部となった。

2022年までに現職のジョン・テイラー首席領事を含む25人の米国務省外交官が在福岡アメリカ領事館の首席領事を務めた。その他に3人の領事が勤務している。

参考文献

在福岡アメリカ領事館. Record of Fees , August 1, 1950-June 25, 1953.

福岡日米協会. 福岡日米協会設立50周年記念誌. 2008. 40p.

福岡市総務局編. 福岡の歴史 : 市制九十周年記念.福岡市. 1979. 357p.

西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部編. 福岡県百科事典. 西日本新聞社. 1982. 2巻.

西日本新聞「準備整った米国福岡領事館」 1952年3月27日朝刊.

西日本新聞「外国公館各地で開設準備」 1952年4月28日朝刊.

西日本新聞「福岡アメリカ文化センター:(1960年11月)中旬に新装開館」 1960年11月2日朝刊.

福岡アメリカン・センター40年展実行委員会編. 福岡アメリカン・センター40年. 福岡日米協会、福岡アメリカン・センター40年展実行委員会. 1993. 195p.