日米関係

米国と日本は、この何十年かの間に、共通の関心事項に関しても真のグローバル・パートナーシップを築いてきた。両国は、科学研究、開発援助、HIV・エイズなどの疾病との闘い、環境や天然資源の保護、クリーンエネルギー技術の開発などさまざまな問題で協力している。日米は、政治・経済的自由、民主主義、法の支配、そして人権尊重という共通の理念を協力の基盤としている。

日本と米国は、科学技術分野での協力に関する長期の協定をいくつか結んでいる。その発端は、1963年にケネディ大統領と池田首相が始めた日米科学協力プログラムであった。このプログラムは、生命科学、地球・大気科学、台風・ハリケーン研究での学術交流・協力などを対象としていた。現在、米国と日本の科学者たちは、ナノテクノロジー、地震工学、気候変動モデル、サイバーネットワーク、海洋掘削、作物ゲノム、再生医療などの分野で協力している。その過程で、大勢の研究者や学生が、将来の協力に向けてネットワークを構築しており、そのネットワークは絶え間なく拡大している。日米両国は、40年にわたり宇宙探査の分野で協力を続けている。米国航空宇日本と米国は、科学技術分野での協力に関する長期の協定をいくつか結んでいる。その発端は、1963年にケネディ大統領と池田首相が始めた日米科学協力プログラムであった。このプログラムは、生命科学、地球・大気科学、台風・ハリケーン研究での学術交流・協力などを対象としていた。現在、米国と日本の科学者たちは、ナノテクノロジー、地震工学、気候変動モデル、サイバーネットワーク、海洋掘削、作物ゲノム、再生医療などの分野で協力している。その過程で、大勢の研究者や学生が、将来の協力に向けてネットワークを構築しており、そのネットワークは絶え間なく拡大している。日米両国は、40年にわたり宇宙探査の分野で協力を続けている。米国航空宇宙局(NASA)は1969年に、日本初の宇宙機関である宇宙開発事業団(NASDA)と正式に提携した。2003年に、NASDAが他の2つの航空宇宙機関と合併して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が設立された。日米の宇宙機関は、有人宇宙飛行、科学、探査、航空学など、航空宇宙研究のあらゆる分野で協力してきた。これまでに、日本人宇宙飛行士6人がスペースシャトルで宇宙へ行った。日米両国共に、国際宇宙ステーション計画に貢献している。国際宇宙ステーションは、フットボール場ほどの大きさのある大規模な多国間の宇宙実験室である。この計画への日本の最も重要な貢献は、2009年7月に完成した日本初の有人宇宙施設「きぼう」実験棟である。「きぼう」の主な任務は、地球の環境を正確に観察することである。

健康科学の分野における日米協力は広く深く、科学の最先端を行くものであり、世界各地で人々の生活の向上と寿命の延長に貢献している。日米両国は、インフルエンザの大流行に関する情報を積極的に交換し、世界保健機関のような国際機関を通じて、国内および援助を必要とする開発途上国でインフルエンザその他の感染症との闘いに共同で取り組んでいる。

日本の多くの研究者や医師は、米国で学んだ経験がある。2005年現在、米国国立衛生研究所では466人の日本人研究者が、ゲノム科学からがん治療まで健康科学のあらゆる分野で研究に携わっている。過去58年間に、横須賀の米国海軍病院のインターンシップ・プログラムに参加し、患者に対する欧米式の医療について1年間の研修を受けた日本人の新卒医師は、350人以上いる。こうした交流により、臨床・研究の両分野で、日本人と米国人の医療専門家のネットワークが無数に生まれている。

日米協力の主要な分野のひとつが環境保護である。日本では、急速な経済成長と人口急増の結果、都市が公害で汚染された。これに対して、東京では草の根環境運動が生まれ、時を同じくして米国でも環境活動が復活した。1970年の米国大気浄化・水質浄化法が定めた排出基準が、間もなく日本の環境庁によって採用された。そして、1975年8月5日、両国政府は、ワシントンDCで環境保護協力協定を結んだ。この協定は、ワシントンの米国環境保護庁(EPA)が実施するもので、環境保護(具体的には大気・水質汚染と気候変動の防止)を推進している。また、天然資源の開発利用に関する日米会議は、応用科学・技術による天然資源の保護を促進し、水産養殖や森林管理などの問題で日米の科学者や技師の協力を進めている。

国連気候変動枠組み条約の下での数年間の議論に基づき、米国、日本、およびその他180カ国が、1997年12月に京都議定書を起草した。各国に温室効果ガス排出削減を義務付けた初めての国際的な枠組みであり、その点で、気候変動問題に対する国際的な活動の中の画期的な出来事であった。米国は1997年に京都議定書に署名したが、急速に発展する新興諸国に対して何も義務付けていない点が不公平であるとして、結局この議定書を批准しなかった。日本は1998年に京都議定書に署名し、2002年に批准した。

日米両国は、1992年のグローバル・パートナーシップ協定で、世界的な課題に関する研究を強化し、冷戦後の時代の課題への対応でリーダーシップを発揮することを約束した。その後間もなく、日本政府は、自衛隊の国連平和維持活動への参加を認める法案を可決した。その翌年、日本と米国は、2国間協力の枠組みとして、「地球的展望に立った協力のための共通課題(日米コモン・アジェンダ)」を設置した。このコモン・アジェンダは、保健と人間開発の促進、世界の安定に対する挑戦への対応、地球環境の保護、および科学技術の進歩を4つの柱とし、ポリオ・ワクチン接種、世界の食糧供給、テロ対策などの世界規模の問題に取り組む20以上のプロジェクトが含まれていた。

日本と米国は、共同で、開発途上国を援助してきた。近年、日本は、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に多額の寄付をしている。2002年に、米国と日本は、持続可能な開発に関する世界首脳会議で、「きれいな水を人々へ」イニシアチブを発足させた。これは、世界の貧しい人々に安全な水と衛生を提供する日米共同の活動である。2008年の世界経済フォーラム年次総会で、日本の福田首相は、開発途上国の排出削減を目指す、総額100億ドルの5カ年計画「クールアース・パートナーシップ」を発表した。日本は、クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ(APP)で、グリーンエネルギー技術の開発の最前線に立っている。

米国は、対北朝鮮政策について、日本と緊密に協議している。日本は、2009-10年の任期で、国連安全保障理事会の非常任理事国を務めており、その立場で、北朝鮮による最近の挑発的な核・ミサイル実験を非難してきた。1960年安全保障条約の傘の下、日本は、不拡散および核問題に対する米国の政策を広く支援している。こうした問題には、日本の安全保障に不可欠な、朝鮮半島の非核化も含まれる。日本と米国は、2003年以来、北朝鮮の核兵器開発計画がもたらす緊張の解決を目指す多国間の活動である6者協議を推進する主な同盟国となっている。こうした状況の中で、日米両国は、北朝鮮に対し、非核化の約束を守り、ミサイル実験を中止するよう要求している。

日米間のパートナーシップは、破壊的な戦争が決して繰り返されることのないように、戦争の廃虚の上に築かれたものであった。この理想は、日本国憲法に記されており、日米両国は、1960年安全保障条約により、この理想を追求する努力を強化した。2008年に、ナンシー・ペローシ下院議長が広島平和記念資料館を訪れた。ペローシ議長は、同資料館を訪れた米国人高官の中で最高位の人物である。同議長の広島訪問は、戦争を繰り返さないという日米共有の決意をはっきりと示す感動的な出来事であり、また1945年以降の米国と日本の驚異的な前進を象徴するものでもあった。

 

「共通の関心事」(『不朽のパートナーシップ』より)